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泣かないで……

僕なら大丈夫

マナが寂しくないように

どこに居ても

僕が判るように

風に調べを乗せて

あなたに贈ろう



羅侯が大気に溶ける……人の悪意が羅侯を蝕む。終焉の刻は、ゆっくりと迫って来ていた。

羅侯は、己れの宿命を受け止めていた。

でも……

未来が視えた。

それは、余りにも無慈悲で……

運命を遵守して来た羅侯の、最初で最後の抵抗。

幾つもの罪を重ねて尚、守りたかったのは、たった一人の“笑顔”

羅侯は、一つの“未来”を変えた。
それは世界が歩む筈だった“道”の喪失と同意の事で……
“道”を失った世界には無数の“可能性”が生まれた。
ばらばらに砕け散った“道”を世界は迷走し始めた。

羅侯のたった一つの守りたかったものは

切なる願いは

贖い切れない代償と引き換えに
成就したのだった

否、した“筈”だった。

マナのいなくなった泉の畔で、羅侯は今日も口ずさむ。
マナと交わした約束のままに……

風に紡がれて大気に溶ける様に、そっと唄う。


泣かないで……

“僕”という幻想に囚われないで……

まほらばの夢を終わらせて


「あなたは、どこから来たの?あなたも一人?」

ふわふわ

ふわふわ

蛍火は羅侯の周りを遊ぶ様に泳ぐ。
羅侯は首を傾げて両腕を広げる。すると、誘われる様に、その蛍火は羅侯の手の中にスッと収まった。
「ああ……あなたは現し世を生きているんだね……迷い込んでしまったのかな……」
夜は、人を惑わせる。生きとし生ける者全てが、夢の世界をたゆたう時、稀に迷子になる魂がある。
「大丈夫……朝が来れば帰れるからね……」
その言葉に淡い光の球体は、手の内から飛び出して再び羅侯の周りを浮遊する。
「僕と居てくれるの?僕なら平気だよ」

もう二度と逢う事は叶わないけれど……

言いながら、空を仰ぐ様に見上げる。
「この空のどこかに、僕の大切な半身がいて」

きっと笑っている

もう僕の事なんて
記憶の片隅にもない

それを望んだのは
僕自身……

血に濡れた多くの罪
失う恐怖に流す涙

全てをここに置いて……

「幸せでいてくれるなら、僕も幸せだから……」
しんと冷たい静寂が広がる。言葉を持たないその魂は、それでも羅侯から離れようとはしなかった。
「……“外”の事を教えてくれるの?」

羅侯は、この森から出た事がない。出ることを赦されない存在だ。
それからその魂は毎晩、羅侯の元へやって来る様になった。

甘い匂いを放ちながら、風と踊る花びら

眩しい陽に光の粒を散らし踊る水面

茜色に染まる空に届けと舞う紅葉

うっすらと雪化粧を纏う山

羅侯は、“世界”を理解していた。
でも、“情景”を知らなかった。
羅侯と万物の魂は繋がっている。だからこそ、羅侯とその不思議な魂の間に言葉は必要なかった。

「ねぇ、あなたは一体誰なの?」
羅侯が判らないのは、それだけ……

“自分”というモノを理解していないのだ。“誰”なのかということが、記憶にすらない。
その魂は、“白”といっても過言ではなくて……

いつしか羅侯は夜が来るのを待ち遠しくなるようになった。
毎夜訪れる、名も知らぬ友人とのひと時が、羅侯にとって唯一の楽しみになった。

あっという間に一月が過ぎた。

そして……

満月が空に昇った

万物のあらゆる力が増幅される

この日

事の真相は全ては明らかになった

羅侯は、何時ものようにやって来た友人を迎える為に、唄う事を止めて振り返る。
そして、僅かに目を見開いた。
そこに立っていたのは……

居るはずのない半身

失った片羽

何に変えても守りたかった……

「マ…ナ……?」

“どうして”それは言葉にならなかった。
全てを理解してしまったから……

『大丈夫』

そう嘯いてみても、心の底には堪え難い寂寥が降り積もっていて……

『一人でも平気』

自身に言い聞かせたところで、夜が……闇が訪れる度、後悔という名の重圧に胸が押し潰されそうになる。

無意識のうち、いつも縋っていたのは自らが手放した存在……

「僕を……心配して……?」

気付かない筈だね

“力”を奪ったのも

魂を“白”に塗り替えたのも

あなたから、“記憶”を消したのも

「全部、僕なのに……」

『マナ、掟を破った罪は‥‥君自身に払ってもらう。』
これしか、マナを守る道はないと、自身に言い聞かせた決断だった。

“断罪”という形で力を……“記憶”を奪った。
ウルドの泉から、追放した。

それが、マナの“自由”になると信じて……

でも……

脳裏に浮かぶのは、“断罪”の瞬間に見せたマナの涙……

大好きだった“笑顔”が思い出せない。

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