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※志杏椶が地上に起きる時に起きた、ちょっとした事件についてです♪第一章始まる一年前のお話
【後編:散る恋心】
果てさて、少々物騒な戴冠式から早1週間が経とうとしていた。志杏椶の旅立ちの用意も、順調に進んでいる。
後3日もすれば、地上へと向かうこととなる。
「姉上ー!これ、どこに置けばいいんだ?」
「淘汰、ありがとう‥‥それは、ここら辺にお願い」
「了解!」
淘汰も、姉の旅立ちの準備を手伝う毎日だ。荷物を置いてから、身体を伸ばす。
「悪いわねえ」
苦笑しながらそう言う姉に、淘汰は笑顔で「いや」と応えた。本来なら、女中のするべき仕事だ。身の回りの‥‥衣服等は、既にまとめてある。
今、仕分けしているのは書類‥‥ありとあらゆる、地上に関する資料の山だ。
こればかりは、志杏椶自身がまとめなければ、どうしようもならないもので‥‥淘汰も加勢しているというわけだ。
「そういや‥‥今日は来ないなあ‥‥」
淘汰が、背番号順に本を揃えながらポツリと呟く。その呟きに、ピクリと志杏椶が反応を示した。
「誰が?」
その声には、明らかに険がある。「しまった」と思ってしまっても、後の祭りだ。
「いや、だから‥‥その‥‥」
言い淀む淘汰に、志杏椶は不機嫌そうに言う。
「来ない方が、平和だわ!鬱陶しい‥‥何の嫌がらせかしら‥‥」
「‥‥嫌がらせって‥‥ただ単に、純粋に、姉上が好きなだけなんじゃ‥‥」
そう応えた淘汰をきっと睨むと、志杏椶は嫌悪感丸出しに言う。
「は?あなた、本気で言っているの?淘汰‥‥判ってないっ!判ってないわっ!!武人として‥‥自分を倒した相手に惚れるなんて、絶対の絶対に有り得ないわ!」
-判った!?
念を押すと、もうその話題に興味すらないのか、本の整理に戻った。
-こりゃ、ダメだ‥‥
思わず、淘汰はため息をついた。もちろん、姉にはばれないように、こっそりと。
志杏椶は、見目麗しい娘だ。容姿だけを言うならば、深窓の令嬢にしか見えない‥‥その細腕は、「箸より重いもの、持ったことないの」と言われれば、思わず納得してしまうだろう‥‥それほどまでに、線の細い娘である。
だがしかし‥‥今の今まで、たったの一度だって、浮いた話‥‥つまりは、恋の話が全く聞こえてこないのは、ひとえにこの志杏椶の性格に問題が‥‥否、性格ではなく思想に問題があるからで‥‥
淘汰の知る限り、志杏椶へ思いのたけを募らせる男性は山の程いた。だが、いづれも玉砕‥‥恐らくは、志杏椶としては振ったつもりなど更々ないのだろう。
そう、全く持って、恋愛方面には疎いのだ。
外見を裏切り、内面は大変男らしい‥‥いやいや、武人そのもので‥‥
後ろで、綺麗に切り揃えられた髪も、志杏椶はつい先日までザンバラのままだった。‥‥そう、戴冠式にて自ら切った髪‥‥それを、自分で簡単に結わえるだけで、この一週間近くを過ごしていたのだった。
『短くなって、すっきりしたわ。え?まあ、そのうち揃えるわよ』
切り揃えるよう、進言する女官達に、いつもこう笑って言ってかわしていたのだ。
切り揃えたのは、志杏椶付きの女官達に泣き落とされたから‥‥ではなく、さめざめと泣く女官達を見兼ねた、志杏椶の友人であり今回の地上鎮定の任を共に受け、志杏椶の補佐官として同行する事が決まっている韋駄天 雄飛の鶴の一声だった。
『志杏椶殿、妙齢の女性がその髪‥‥上に立つものとして、示しが付かないのでは?』
その言葉受けて、「それもそうね」と、ようやく髪を切り揃えたのだった。
自分の姉ながら、どうしてこうまで外見と内面にギャップがあるのか‥‥淘汰は不思議で仕方がない。弟ながら「嫁に行き遅れてしまうのでは?」など、いらぬ心配を時々してしまうほどだった。
と、それぞれの作業に勤しんでいたその時‥‥
「ごきげんよう!麗しの姫君っ!!」
「来たか‥‥」
部屋の扉を境界に、温度差がぐんぐん開いていく。淘汰の耳には、しっかりと、絶対零度の呟きが聞こえたのだが‥‥訪問者はそんな志杏椶の様子に気付く様子が全くない。
淘汰は、その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。だが、動くことが出来ない‥‥今日は、天気が良く日差しも暖かいはずなのに、淘汰は身震いせずにはいられない。
「あら、豪殿‥‥今日はどのようなご用件で?」
爽やかな笑みをその顔に貼り付けて、志杏椶が言う。淘汰には、「用がないなら、とっとと帰れ」という心の声が聞こえてきた気がして、泣きたくなった。
「これはこれは、つれないな‥‥俺の姫君は!」
「あら、これは奇なことを仰いますわね‥‥“いつ”“誰が”“どこで”‥‥あなたの者になったのかしら?」
淘汰は、もう何度も繰り返された会話をほぼ覚えてしまっており、本当の本当に泣きたくなってきていた。‥‥淘汰には、判っていた‥‥姉の堪忍袋の緒が、そろそろ限界に来ていることが‥‥
そして、淘汰は知っていた‥‥沸点の割と高い姉が本気で激怒したときの恐ろしさを‥‥
だから、もう内心では無知な‥‥否、むしろ空気が全く読めていない竜族の青年 豪へ向かって「頼むから帰ってくれ!!」と懇願して止まなかったのだった。
だがしかし、その願いが聞き届けられることはない。
なんていっても、空気が全く読めていない‥‥志杏椶の言葉を借りれば「脳みそまで筋肉」な、豪だ。
そもそも、最初っから志杏椶だってこんな酷い態度を取っていたわけではない。先ほども言ったように、志杏椶の沸点は高い‥‥つまり、滅多なことでは怒らない。
最初、豪が尋ねてきたのは、戴冠式が終わってすぐのことだった。
『お待ち下さい!』
戴冠式が、滞りなく(?)進み、胸を撫で下ろして志杏椶もさあ自室に戻りましょうかと、大広間を出たそのときだ。
先ほど、手合わせしたばかりの若い竜族の青年が、衛兵に拒まれるのに構わず、懸命に抗いながら志杏椶に向けて声を上げた。
その言葉を受け、志杏椶は近付く。
『すみませんが、その方とお話をさせて頂けませんか?』
衛兵に対して志杏椶がそう言うと、衛兵達は戸惑った。守るべき主である志杏椶がそう言っているのだから、すんなりと青年を解放しても良いところだ。そう、通常ならば‥‥だが、今回ばかりは違っていた。
先ほど手合わせした相手‥‥しかも、敗者だ。更に、相手は前回の武道会の優勝者‥‥
志杏椶に対して、逆恨みしている可能性が高い。そんな危険だと重々判っていながら解放することは、衛兵としての使命から、どうしても出来なかったのだ。
だが、続けて志杏椶が言う。
『大丈夫‥‥少し、お話をするだけです‥‥そこの方、豪殿‥‥でしたよね?申し訳ございませんが、武具を衛兵に渡してもらえませんか?そうでなければ、彼らにも仕事というものがありますから‥‥』
そう言うと、案外あっさりと豪は武具一切の全てを衛兵に潔く明け渡したのだった。
『先ほどは、手合わせありがとうございました!』
いきなり頭を下げてきた青年に、志杏椶は気を完璧に許してしまっていた。
『いえ、こちらこそ‥‥申し訳ございませんでした』
これは、本心からの言葉‥‥どんなに男気が溢れていようと、志杏椶は“女性”で‥‥本人も、それを弁えていた。
あの時、会場からの支持を得るためには青年から一本取る他なかったとしても、“女”に負けることが、どれほど屈辱的な事か‥‥
それが、武道会で優勝した者となれば、尚更の事だろう‥‥だが相手の自尊心を考えれば、自分から謝に行くわけにもいかず‥‥だから、きっと頭を悩ませていた青年が目の前に現れた事で、気を許してしまうのも当たり前のことで‥‥
『それでお、お願いがあります!』
この“お願い”とういうのも、ある程度想定しいた。
『何でしょうか?』
『これを受け取ってください。』
だが、これがそもそもの、これが全ての間違いだった。見解の相違‥‥というのだろうか‥‥?
『もちろん、喜んで‥‥』
笑顔で差し出された封書を受け取る。再戦の申し込みだと、志杏椶は信じて疑っていなかった。
『ありがとうございます!!』
-あらあら‥‥再戦を受けただけで、こんなに喜んでもらえるなんて‥‥
久しぶりに、根っからの無頼漢に出会えたと内心喜んでいた矢先‥‥
『一生、幸せにします!!』
『‥‥は?』
一瞬、志杏椶の思考が停止してしまったのは、言うまでもない。小躍りをし出すんじゃないかと思うくらい喜んでいる青年を横目に、恐る恐る、改めて手渡された封に目をやる。そこには‥‥
【交際申込書】
達筆な文字で、そう書かれていた。
-いや‥‥交際すっ飛ばして、“一生”はないんじゃないかな?
そんな場違いな考えが、志杏椶の頭をよぎった。自分たちの主君の性格を熟知している衛兵達と、ちょっと離れたところで見守っていた雄飛が、とてもとても深~い溜息と付いたのだった。
そうして、今に至る。志杏椶とて、自分の撒いた誤解の種だ。穏便に事を進めようと、丁重にお断りしていた。
『すみません。私‥‥勘違いをしてしまって‥‥申し訳ありませんが、あなたとはお付き合い出来ません。』
遠まわしに断るならば、きっぱりと引導を渡した方が相手の為だと思い、そう言い渡したのが一週間前‥‥
だが‥‥それでは、事は収まらなかった。
頭の中が春色一色の豪には、全く持って通じない。
あまつさえ、
『そんな、照れるあなたが可愛いです!』
そんな言葉を投げかけてきて、志杏椶は鳥肌が立った。
断り続けて、もう一週間‥‥もう、相手をする気すら起こらない。いい加減、辟易していた。
淘汰も、立派な被害者だ。
どういうわけか‥‥淘汰が志杏椶を手伝いに来ている時間帯を見計らっているかのように、豪は志杏椶を訪ねてきていたのだ。
「まあまあ、そんな硬いことを言わず‥‥こうして逢瀬を楽しめるのも、後僅か3日しかないのですから‥‥」
ため息なんて付きながら、無遠慮に部屋へ入って来る。
-あああああああ!!!!!!
そんな、淘汰の心の叫びが豪に届くわけもなく‥‥
-ブチッ!!!
淘汰にだけだろう‥‥豪快な音が、聞こえた気がした。
「‥‥いい加減になさい‥‥」
「何ですか?愛しの姫君?」
豪は、志杏椶の纏う空気が一変した事にすら気付かず、豪は“愛しの姫君”の肩に手軽に手を置く‥‥否、置きかけた、まさにそのとき。
「鬱陶しいのよっ!!あなたっ!!!」
-バリーーーン!!!
志杏椶の渾身の一撃が豪を見舞うのが先か、それとも窓が割れて外に豪が放り出されるのが先か‥‥
「頭の脳みそまで、筋肉な男なんて大っ嫌い!!!淘汰っ!!!」
「はいっ!!」
いきなり名を呼ばれた淘汰が、ビシッという効果音が聞こえてきそうなほど勢い良く立ち上がる。
「ああいう、脳みそまで筋肉な馬鹿な男なんかになっちゃダメよ!!!」
「はいっ!!」
実は、陣中見舞いに来ていた、桔梗とキリスト、マクスウェルがこのとき扉の向こうで一部始終を見ていたことが判明するのは、もう少しだけ先のこと‥‥
こうして、志杏椶の武勇伝は、着実に増えていった。
その後、竜族の青年 豪がどうなったか‥‥それは、本人のみが知る事である。
<終>
~戴冠式で芽生え、散る恋心~
【後編:散る恋心】
果てさて、少々物騒な戴冠式から早1週間が経とうとしていた。志杏椶の旅立ちの用意も、順調に進んでいる。
後3日もすれば、地上へと向かうこととなる。
「姉上ー!これ、どこに置けばいいんだ?」
「淘汰、ありがとう‥‥それは、ここら辺にお願い」
「了解!」
淘汰も、姉の旅立ちの準備を手伝う毎日だ。荷物を置いてから、身体を伸ばす。
「悪いわねえ」
苦笑しながらそう言う姉に、淘汰は笑顔で「いや」と応えた。本来なら、女中のするべき仕事だ。身の回りの‥‥衣服等は、既にまとめてある。
今、仕分けしているのは書類‥‥ありとあらゆる、地上に関する資料の山だ。
こればかりは、志杏椶自身がまとめなければ、どうしようもならないもので‥‥淘汰も加勢しているというわけだ。
「そういや‥‥今日は来ないなあ‥‥」
淘汰が、背番号順に本を揃えながらポツリと呟く。その呟きに、ピクリと志杏椶が反応を示した。
「誰が?」
その声には、明らかに険がある。「しまった」と思ってしまっても、後の祭りだ。
「いや、だから‥‥その‥‥」
言い淀む淘汰に、志杏椶は不機嫌そうに言う。
「来ない方が、平和だわ!鬱陶しい‥‥何の嫌がらせかしら‥‥」
「‥‥嫌がらせって‥‥ただ単に、純粋に、姉上が好きなだけなんじゃ‥‥」
そう応えた淘汰をきっと睨むと、志杏椶は嫌悪感丸出しに言う。
「は?あなた、本気で言っているの?淘汰‥‥判ってないっ!判ってないわっ!!武人として‥‥自分を倒した相手に惚れるなんて、絶対の絶対に有り得ないわ!」
-判った!?
念を押すと、もうその話題に興味すらないのか、本の整理に戻った。
-こりゃ、ダメだ‥‥
思わず、淘汰はため息をついた。もちろん、姉にはばれないように、こっそりと。
志杏椶は、見目麗しい娘だ。容姿だけを言うならば、深窓の令嬢にしか見えない‥‥その細腕は、「箸より重いもの、持ったことないの」と言われれば、思わず納得してしまうだろう‥‥それほどまでに、線の細い娘である。
だがしかし‥‥今の今まで、たったの一度だって、浮いた話‥‥つまりは、恋の話が全く聞こえてこないのは、ひとえにこの志杏椶の性格に問題が‥‥否、性格ではなく思想に問題があるからで‥‥
淘汰の知る限り、志杏椶へ思いのたけを募らせる男性は山の程いた。だが、いづれも玉砕‥‥恐らくは、志杏椶としては振ったつもりなど更々ないのだろう。
そう、全く持って、恋愛方面には疎いのだ。
外見を裏切り、内面は大変男らしい‥‥いやいや、武人そのもので‥‥
後ろで、綺麗に切り揃えられた髪も、志杏椶はつい先日までザンバラのままだった。‥‥そう、戴冠式にて自ら切った髪‥‥それを、自分で簡単に結わえるだけで、この一週間近くを過ごしていたのだった。
『短くなって、すっきりしたわ。え?まあ、そのうち揃えるわよ』
切り揃えるよう、進言する女官達に、いつもこう笑って言ってかわしていたのだ。
切り揃えたのは、志杏椶付きの女官達に泣き落とされたから‥‥ではなく、さめざめと泣く女官達を見兼ねた、志杏椶の友人であり今回の地上鎮定の任を共に受け、志杏椶の補佐官として同行する事が決まっている韋駄天 雄飛の鶴の一声だった。
『志杏椶殿、妙齢の女性がその髪‥‥上に立つものとして、示しが付かないのでは?』
その言葉受けて、「それもそうね」と、ようやく髪を切り揃えたのだった。
自分の姉ながら、どうしてこうまで外見と内面にギャップがあるのか‥‥淘汰は不思議で仕方がない。弟ながら「嫁に行き遅れてしまうのでは?」など、いらぬ心配を時々してしまうほどだった。
と、それぞれの作業に勤しんでいたその時‥‥
「ごきげんよう!麗しの姫君っ!!」
「来たか‥‥」
部屋の扉を境界に、温度差がぐんぐん開いていく。淘汰の耳には、しっかりと、絶対零度の呟きが聞こえたのだが‥‥訪問者はそんな志杏椶の様子に気付く様子が全くない。
淘汰は、その場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。だが、動くことが出来ない‥‥今日は、天気が良く日差しも暖かいはずなのに、淘汰は身震いせずにはいられない。
「あら、豪殿‥‥今日はどのようなご用件で?」
爽やかな笑みをその顔に貼り付けて、志杏椶が言う。淘汰には、「用がないなら、とっとと帰れ」という心の声が聞こえてきた気がして、泣きたくなった。
「これはこれは、つれないな‥‥俺の姫君は!」
「あら、これは奇なことを仰いますわね‥‥“いつ”“誰が”“どこで”‥‥あなたの者になったのかしら?」
淘汰は、もう何度も繰り返された会話をほぼ覚えてしまっており、本当の本当に泣きたくなってきていた。‥‥淘汰には、判っていた‥‥姉の堪忍袋の緒が、そろそろ限界に来ていることが‥‥
そして、淘汰は知っていた‥‥沸点の割と高い姉が本気で激怒したときの恐ろしさを‥‥
だから、もう内心では無知な‥‥否、むしろ空気が全く読めていない竜族の青年 豪へ向かって「頼むから帰ってくれ!!」と懇願して止まなかったのだった。
だがしかし、その願いが聞き届けられることはない。
なんていっても、空気が全く読めていない‥‥志杏椶の言葉を借りれば「脳みそまで筋肉」な、豪だ。
そもそも、最初っから志杏椶だってこんな酷い態度を取っていたわけではない。先ほども言ったように、志杏椶の沸点は高い‥‥つまり、滅多なことでは怒らない。
最初、豪が尋ねてきたのは、戴冠式が終わってすぐのことだった。
『お待ち下さい!』
戴冠式が、滞りなく(?)進み、胸を撫で下ろして志杏椶もさあ自室に戻りましょうかと、大広間を出たそのときだ。
先ほど、手合わせしたばかりの若い竜族の青年が、衛兵に拒まれるのに構わず、懸命に抗いながら志杏椶に向けて声を上げた。
その言葉を受け、志杏椶は近付く。
『すみませんが、その方とお話をさせて頂けませんか?』
衛兵に対して志杏椶がそう言うと、衛兵達は戸惑った。守るべき主である志杏椶がそう言っているのだから、すんなりと青年を解放しても良いところだ。そう、通常ならば‥‥だが、今回ばかりは違っていた。
先ほど手合わせした相手‥‥しかも、敗者だ。更に、相手は前回の武道会の優勝者‥‥
志杏椶に対して、逆恨みしている可能性が高い。そんな危険だと重々判っていながら解放することは、衛兵としての使命から、どうしても出来なかったのだ。
だが、続けて志杏椶が言う。
『大丈夫‥‥少し、お話をするだけです‥‥そこの方、豪殿‥‥でしたよね?申し訳ございませんが、武具を衛兵に渡してもらえませんか?そうでなければ、彼らにも仕事というものがありますから‥‥』
そう言うと、案外あっさりと豪は武具一切の全てを衛兵に潔く明け渡したのだった。
『先ほどは、手合わせありがとうございました!』
いきなり頭を下げてきた青年に、志杏椶は気を完璧に許してしまっていた。
『いえ、こちらこそ‥‥申し訳ございませんでした』
これは、本心からの言葉‥‥どんなに男気が溢れていようと、志杏椶は“女性”で‥‥本人も、それを弁えていた。
あの時、会場からの支持を得るためには青年から一本取る他なかったとしても、“女”に負けることが、どれほど屈辱的な事か‥‥
それが、武道会で優勝した者となれば、尚更の事だろう‥‥だが相手の自尊心を考えれば、自分から謝に行くわけにもいかず‥‥だから、きっと頭を悩ませていた青年が目の前に現れた事で、気を許してしまうのも当たり前のことで‥‥
『それでお、お願いがあります!』
この“お願い”とういうのも、ある程度想定しいた。
『何でしょうか?』
『これを受け取ってください。』
だが、これがそもそもの、これが全ての間違いだった。見解の相違‥‥というのだろうか‥‥?
『もちろん、喜んで‥‥』
笑顔で差し出された封書を受け取る。再戦の申し込みだと、志杏椶は信じて疑っていなかった。
『ありがとうございます!!』
-あらあら‥‥再戦を受けただけで、こんなに喜んでもらえるなんて‥‥
久しぶりに、根っからの無頼漢に出会えたと内心喜んでいた矢先‥‥
『一生、幸せにします!!』
『‥‥は?』
一瞬、志杏椶の思考が停止してしまったのは、言うまでもない。小躍りをし出すんじゃないかと思うくらい喜んでいる青年を横目に、恐る恐る、改めて手渡された封に目をやる。そこには‥‥
【交際申込書】
達筆な文字で、そう書かれていた。
-いや‥‥交際すっ飛ばして、“一生”はないんじゃないかな?
そんな場違いな考えが、志杏椶の頭をよぎった。自分たちの主君の性格を熟知している衛兵達と、ちょっと離れたところで見守っていた雄飛が、とてもとても深~い溜息と付いたのだった。
そうして、今に至る。志杏椶とて、自分の撒いた誤解の種だ。穏便に事を進めようと、丁重にお断りしていた。
『すみません。私‥‥勘違いをしてしまって‥‥申し訳ありませんが、あなたとはお付き合い出来ません。』
遠まわしに断るならば、きっぱりと引導を渡した方が相手の為だと思い、そう言い渡したのが一週間前‥‥
だが‥‥それでは、事は収まらなかった。
頭の中が春色一色の豪には、全く持って通じない。
あまつさえ、
『そんな、照れるあなたが可愛いです!』
そんな言葉を投げかけてきて、志杏椶は鳥肌が立った。
断り続けて、もう一週間‥‥もう、相手をする気すら起こらない。いい加減、辟易していた。
淘汰も、立派な被害者だ。
どういうわけか‥‥淘汰が志杏椶を手伝いに来ている時間帯を見計らっているかのように、豪は志杏椶を訪ねてきていたのだ。
「まあまあ、そんな硬いことを言わず‥‥こうして逢瀬を楽しめるのも、後僅か3日しかないのですから‥‥」
ため息なんて付きながら、無遠慮に部屋へ入って来る。
-あああああああ!!!!!!
そんな、淘汰の心の叫びが豪に届くわけもなく‥‥
-ブチッ!!!
淘汰にだけだろう‥‥豪快な音が、聞こえた気がした。
「‥‥いい加減になさい‥‥」
「何ですか?愛しの姫君?」
豪は、志杏椶の纏う空気が一変した事にすら気付かず、豪は“愛しの姫君”の肩に手軽に手を置く‥‥否、置きかけた、まさにそのとき。
「鬱陶しいのよっ!!あなたっ!!!」
-バリーーーン!!!
志杏椶の渾身の一撃が豪を見舞うのが先か、それとも窓が割れて外に豪が放り出されるのが先か‥‥
「頭の脳みそまで、筋肉な男なんて大っ嫌い!!!淘汰っ!!!」
「はいっ!!」
いきなり名を呼ばれた淘汰が、ビシッという効果音が聞こえてきそうなほど勢い良く立ち上がる。
「ああいう、脳みそまで筋肉な馬鹿な男なんかになっちゃダメよ!!!」
「はいっ!!」
実は、陣中見舞いに来ていた、桔梗とキリスト、マクスウェルがこのとき扉の向こうで一部始終を見ていたことが判明するのは、もう少しだけ先のこと‥‥
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その後、竜族の青年 豪がどうなったか‥‥それは、本人のみが知る事である。
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