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バスの中に、悲鳴が連鎖する。

それは、刃を向けられた少女に対してか

はたまた暴走バスの前で不幸にも硬直してしまっている青年に対してなのか

或いは双方に対してのものか…

叫ぶ本人達でさえ判らないというのが、本音かも知れない。

ともかく、緋岐の視界を支配しているのは、今まさに紗貴に襲い掛からんとする、大行の刃だった。
他の悲鳴など、聞こえてすらいない。
考えるより先に、身体が動いていた。
こんな恐怖を感じたのは、初めてかもしれない。

「紗貴!」

全ての動きが、緩慢に感じてもどかしい。

手を必死に伸ばした。届く様で触れる事さえ出来ない距離に、焦燥に駆られる。

キイィィィッ!

急ブレーキに、バスが耳障りな悲鳴を上げた。

その悲鳴に混じって、何かが破裂する様な音が響く。
だが、そんな物音に耳を傾ける余裕が、この状況下である筈もなく…

急ブレーキと同時に、大きくハンドルを切られたバス車内は、自身の重心すら保てない程の遠心力に襲われた。
半恐慌状態の車内で、人ならば受けるであろう慣性をまるで無視した動きの三人に気を留める者はなかった。

「俺をっ…俺を馬鹿にするなぁ!」
狂気に満ちた、大行の眼差しを運転席から立ち上がり対峙した紗貴が真っ向から受け止める。
「天降し依さし奉りき……」
向けられた刃に臆する事なく、手で印を組むと、大行に憑いた妖を祓う呪を唱え始めた。

ヤメロ

ヤメサセロ!

「せっかく、手に入れた力を手放してなるかぁ!」

オンナ ヲ コロセ!!

渦巻く狂気に身を委ね、甘美な闇の囁きのまま、容赦なく刃を紗貴に向ける。

ザクッ!

肉を裂く独特の感覚に陶酔する間もなく、大行の目は大きく見開かれた。

紗貴へと躊躇いなく振り下ろされた刃は、だがしかし紗貴の頬を掠めただけに終わったのだ。

柄を伝い、血が滴る。

「遺る罪は在らじと 祓え給え 清め給ん……裁禍!」

一瞬で事は収束を迎えた。

紗貴が印を切ると同時に、緋岐が大行を投げ飛ばす。

大行に憑いていた妖が祓われた事により、意識を取り戻したバスの運転手と、サラリーマン風の男性が数名で、大行を取り押さえた。


ホッと一息ついたのも束の間…
紗貴は血相を変えて、鋭利なナイフが未だ握られている緋岐の掌を慎重に…慎重に両手で開く。

カシャン…

音を立てて凶器が床に落ちると同時に、刔られた掌から血が滔々と滴り落ちる。
その、決して軽傷とは言い難い傷を見て、紗貴は半ば泣き出しそうで…

それでも、涙を堪えたまま、自身のポケットからハンカチを取り出すと緋岐の傷に巻き付ける。

巻き付けながら、ポソリと呟くように口を開いた。

「ごめんなさい…私のせいで……」

消え入りそうな謝罪の言葉に、緋岐は不謹慎と思いつつ、苦笑を禁じえない。

「私が、不甲斐なかったから…」

それは……

常日頃の

溌剌とした紗貴からは

想像出来ない程の

意気消沈振りで……

気付いた時には、紗貴の頭を抱き寄せていた。

「無事で良かった…俺こそ、ごめん…」

その謝罪の意味が判らず、困惑気に見上げて来る紗貴の頬に走った赤い筋を、そっと指で掠める。

「顔を、傷付けた…ちゃんと守るつもりだったんだけど…」

守り切れなくて、ごめん…

「わっ……私は、こんなかすり傷なんともない!」

紳士に…真っ直ぐ自分に向けられた眼差しに、体温が上昇するのが判って、思わず視線を逸らしながら紗貴が応える。
そんな紗貴を逃がすまいと口を開き掛けた緋岐だったが、思わぬ方向から邪魔が入ったのだった。

「あの~…君達が最後なんだけど…とりあえずバスから降りようか?」

どこか遠慮がちに、お伺いを立ててくるレスキュー隊員に、緋岐は「はい」と溜息混じりに返事をしながら、その場から立ち上がる。
少し歩いたところで、紗貴が着いて来ない事に気が付いて振り返ってみれば、そこにはまだ紗貴が座り込んでいて……
「……どうした?」
不審そうに聞いて来る緋岐に、紗貴は情けない苦笑を浮かべて、ばつが悪そうに言う。
「腰…抜けちゃって……」

その様子に思わず緋岐の頬は緩んだ。

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